このページは

読者が退屈しないようにと思って始めたSNS的に最新情報を伝えるものですが、書き替える度に容赦なく完全に更新されます。1分で421文字タイプするプロな私の殴り書きです。どれほどついていない人生で脳無しにばかり会うかを臨場感を持って体験できる一番中毒性のあるページだと思いますが、突然読んでも何の話だかさっぱり分からないかもしれません。※過去に読んでいなかったため内容が分からないという個別の質問は遠慮してね。

母上が行きたがったオランダにて

2021年3月4日23時55分(日本時間)

都心は、今時期死人が多いもんでね。20日に亡くなったけど、火葬は3月1日だったよ。あのクズ、やっぱり来なかった。

「死んだんだ」と言っただけで泣き出す始末で、2日ぐらいたってやっと「死んだ」だけでは泣かないようになったけど、「ここへ帰ってくるんだ」なんていうとボロボロ泣き始めて、訃報を数十件電話できていた父親の時とは全く違って、人と話さないほうがいいと思ったほどだった。

子供のころの葬式は良かった。何もする必要がなかったから。大人になると、死なれても悲しむ暇もなく現実が待っている。何もかも私一人だから、休んでいられない。入院代だとかの支払い方法とかお金の事もそうだけど、火葬だとかメイクだとか、お経だとかお坊さんだとか、でも、何より時間をかけたのは、「棺に何を入れるか」だった。何を着せるかも含めて。

去年最初に入院する前日、夢を見ていた。母上が私の白いスーツを着ていた。だから、それを着せることにして、クリーニングに出した。とはいってもスカートが短すぎると思ったので、パンツにしたから、ジャケットだけ。それから、お揃いにイギリスで買った青のカシミアのセーターとか、母上が気に入っていた白のカットソーとか、洋服をちょっと入れた。新しく買った物は、ストッキングと下着。その他、口紅とファンデーション。そして、日記帳。私も数十年かというほどずっと日記をつけているけれど、母上もそうだった。4月から始まる日記帳を買って、新しいペンと一緒に入れた。他には、いつも持ち歩いていた辞書と、私がプレゼントした梅干しの箱にお財布を入れたもの。そして、そのお財布の中には、私の名刺を数枚と、父上の名刺を入れた。そして、プロレスが好きで、ジャイアント馬場と同級生で仲良しだったらしいので、馬場が死んだ時大泣きして大変だったんだけど、その時の馬場の特集の週刊誌を入れておいた。その他、いつもベッドにティッシュを置いていたから、それとか。お気に入りのバッグも入れた。

娘ならではの気の使い方であれこれ考え時間をかけて用意したけれど、それでも、気に入ってもらえた気がしない。私、あの人の望むものが良く分からない。どうしたいのか、よくわからない。いつもどこかですれ違っていたから。

3月1日、朝方、又寒かった。母上が火葬場へ行ったなと思った。12時半に来てと言われていたので、喪服を着て行った。お坊さんがいた。白木の位牌をもらったが、あまりの字の汚さに驚き、「捨てていいか」と聞こうと思ったほどだった。父上の立派なやつとは大違い。どちらにせよ、納骨の際には黒の位牌に変更するらしいけど、浄土真宗だからそれもないので、捨てるらしい。

母上に最後に挨拶をし、入れておいたコーヒーとゴディバのチョコを取った。母上が熱い思いをしている間、ゴディバのチョコを2つ食べた。早く連れて帰りたかった。早く一緒に暮らしたかった。

白くくるまれた母上を抱いて、家に帰って、自分のベッドの上に乗せた。得体のしれない安心感があった。生まれて初めて、母親とまともに暮らせるようになった。例え骨になっても、やっと一緒にいられるという曲がった喜びがあった。骨であっても、それほどまでに一緒にいたかったのだなと思うと、我が身が哀れだった。

すぐさまでかけ、未来へ向けた準備をした。帰ると、さなちが来てくれた。大きな袋を持って、何だろうと思ったら、差し入れだった。私が食べていないと思って、冷凍食品をたっぷりと、山ほどの豆乳ジュースと、果物とか、甘味とか。玄関先で話していたけど、上がってもらった。

この家に、初めて人を入れた。そして、数十年振りみたいな気がするほど久しぶりに、すっぴんを見せた。3月1日は、歴史的な日であった。

母上はさなちを知らないので、名刺を置いて、さなちには、大事なゴディバを一つあげた。棺からもって帰ってきたものだから気持ち悪いかもとは思ったけど、とってもとっても大事な、二度と手に入らないほど価値のある私にとって超ド級で貴重なゴディバだったから、じゅんこさんの生命を心配してかけつけてきてくれた行動力も処理速度も高いさなちに、お礼として一つ食べて欲しかった。きっと母上は、ゴディバ一つ分、さなちを守ってくれると思う。

さなちと話したら、だいぶ話せるようになっていることが分かったので、とはいえ、感情もなく口先だけでしゃべっている感が否めないしゃべり方ではあるけれど、笑いもしないけれど、それでも人前で嗚咽しながら泣き出すよりはいいと思う。さなち帰宅後、さっそく初めて食べる冷凍食品を食べ、選んだのはペペロンチーノで、美味しかった。レンジでチンでこんなにおいしいのかと、まるで大正生まれのおばあちゃんみたいだった。




何もしたくなかったけど、芸術的な事はできた。だから、母親の遺影をソフトで自分で作ったり、上の画像も作ったりできた。死後3日ぐらいは、そんな感じ。その後、法律ならできるようになり、今年やるべき裁判沙汰を「5つぐらいだな」と想定し、一つ書き始めた。今年は連続裁判文書で大忙しらしいので、裁判用のハンコを買ってしまった。証拠に押すやつ。

法律より芸術が勝ったことに驚いたけど、やはり、芸術的事って、脳を使っているのではなく、感性だからなんだろうね。この後、英語を使うこともできるようになると思うよ。そうやって、本来の自分の能力を少しずつ取り戻していくのだと思う。

仕事、完全にやめた。そもそも裁判沙汰数件で時間がないけれど。法律と芸術と役所事以外、何もしないことにした。そう思ったら、心が楽になった。「私は喪中です」みたいな。父上が死んだ時は、実質的にも形式的にも喪中でいることが許されなかった。普通喪中なら行かないのにお祭りですら行けと言われたし、1日たりとも休ませてもらえなかった。葬儀翌日でも参列者数百人にお礼の電話をしなければいけなかった。誰も人が死んだ事など分かっておらず、どうやって二代目を利用しようかというゴキブリだらけだった。だから、その分、母親の時は、休もうと思う。今やっと、二人分休めるのだと思う。さなちが差し入れくれたから、数日は食事に困らなそうだし。皆さん、餓死前には公開しますので、栄養ありそうなものをお願いします。

なんて書くと、さぞかしボーッと生きていそうだと思っているだろうけど、すごい行動力は変わらない。

井上晴洋をひきずり下ろすべく、学会に手紙を書き、火葬前に発送しました。そして、本日、記事として公開しました。

井上晴洋は日本消化器内視鏡学会理事長を解任されるべき



その他、まだ言えないけど、先ほどやっと1万3671文字にも及ぶ「裁判所第一弾」を書きあげました。明日提出しに行ってきます。それから、止まってしまっていた自分の法人の後始末と、確定申告もしないとね。母上の支払いを一つも済ませていないので、それも週末にやらないと。「芸術、法律、役所とか公的事」だけでしばらく月日が流れます。その合間に泣きながら、泣いては動き、泣いては動きで、今年を過ごします。



今日は、ここまで。








© 2021 一人旅運転日記 by Junko(メンサ会員)