私の知能指数は不明(知能指数は変化する)前編


もしも私の他の知能指数の記事を読むのなら、このような稀なケースであることをご理解の上、お読みになって下さい。




「何かがおかしい」と視覚から気が付いた

20歳も超えたある時、「何かがおかしい」と思った。

目から入った情報の処理を脳内でとても不快と感じることが多くなった。基本的に、全てがぽわんとし始めたというか、脳に霧がかかったようになってしまい、記憶量も減った気がした。



生活がとても不便というわけでもなかったのでしばらく放っておいたけれど、脳がどうかしたのだろうかと心配になったので、脳外科へ行ってみた。



まず、脳のMRI。

異常なし。萎縮も病変もなし。



その他、何かの検査をしていたけど何の検査かと聞きもせずに大半を「分かりません」でパスしていたら、後日それが知能検査だったと聞かされた。やだもう。早く言ってよ。



お陰様で、多分WAISの古いやつだったと思うけど、全検査101しか出なかった。あれほど「分かりません」を連発したのに101も出たらしい。ちゃんとやったら500ぐらい出る計算なのか。

「あんた、むしろ何か分かることはあるのか」と医師に聞かれてもいいぐらい「分かりません」と言っていた気がするぞ。



WAISについては又他の記事で解説するけど、この時にやったWAISでも、絵や色のついたものを見せられた時に脳が不快だった。脳が「イライラ」して、拒絶するのだ。これが後にどんどんひどくなり、他の分野にも広がってしまった。



その後、実は乱視が入っているらしいということに気が付き、視力は落ちていなかったけど、眼鏡を買ってみたの。そしたら夜の運転が少し楽になったので、「きっと乱視のせいだったのだろう」ということにして、「何かがおかしい」という感覚を無視して生きることにした。



丁度このぐらいから毎日のように痛み止めを飲むようになっていたけど、頭痛を含めた背中から上の痛みのために服用していたのに、何故か飲むと脳がスッキリした。





イギリスへ留学

その後イギリスに行き、「基本は勉強だけ」という生活に身を置くと、記憶力のおかしさや脳の拒絶感はどんどん気になっていった。

その上、起き上がることが困難になり、朝体を起こそうとしてすぐ倒れるということを繰り返しながらやっと起きていた。



それでもまだ、イギリス1年目はまともに過ごせており、おかしくなったのは2年目からだった。



法学部の大学院を修了し、別の大学院へ入っていた。学部は経済・財政・会計学部で、理系なので、英語は法学部時代とは比べものにならないほど簡単で、辞書をひくことも殆どないほどだった。にも関わらず、意味が分かるまでに時間を要した。数学や統計学は元々分からないけど、そういう問題ではなかった。数学は英語で学んだ方が分かりやすいはずなのに、漠然と、意味が分からなかった。というか、読めば分かるのに、やるとできなかった。

幸い、第二言語とはいえ、論文を書かせればもちろん高得点だったため、「算数からして苦手だから仕方がないね」で終わらせておくことにした。



でも、日本で地震が起きた後、一気におかしくなった。

ついに、パソコンの画面の光で吐いた。光過敏であり、それが悪化したのだと思う。

おまけに、鼠蹊部が痛むという、何でそんな場所が痛むのか皆目見当もつかないような場所にまで痛みを覚えた。頭痛とか、肩とか腰とか足だったら慣れた痛みだったけど、鼠蹊部なんて、何の心辺りもなかった。





難病と診断

地震後、心配して日本に戻ったら、自分も心配が必要な身だった。

子宮内膜ポリープがあり、即手術となった。それは鼠蹊部の痛みとは関係ないけど、タイミングと場所が良かったので、今回もそのせいだろうということにしておいた。



留学中の一時帰国で手術になったため、「医者からイギリスに戻って勉強しても大丈夫だという診断書をもらわなければ帰ってきてはダメ」と大学院から言われてしまった。

早く帰りたかったので術後一か月ぐらいでイギリスに帰ったけれど、これはかなりまずく、体に連発でストレスを与え過ぎたと思う。



イギリス帰国後、更にひどくなった。頭を起こすとすぐ倒れるの繰り返しで、目が覚めてから立つまでに1時間から3時間ぐらいかかるようになり、起き上がりこぼし的な人生になってしまった。

やっと立ち上がってもまだフラフラで、何度も壁に体をぶつけながらシャワールームへ行くという、知らない人から見たら「只今泥酔中」だった。

でも、シャワーを浴びると多少具合は良くなったけれど、シャワーを浴びた後も5分歩くのがやっとだった。




毎日、眠っても眠れず、半分起きていた状態で、いつも外の音が聞こえていた。脳が全く休めていなかった。



脳は、眠らせないと、休めない。眠ったからと言って脳が停止しているわけではないけれど、睡眠はものすごく大事だと痛感しました。眠らないと体も休めないけれど、脳が休めないと、思考回路が止まる。記憶も飛ぶ。最近、マイドクターが、私の知能指数を知った時に「とにかく眠ること」と言ったので、さすがだなと思った。この場合の「眠る」は、「熟睡」。短くてもいいから、必ず熟睡させなくてはいけない。知能指数が高ければ高いほど脳が動いていると思うので、熟睡させないと危ないと思う。



イギリスで医者へ行ってみたら、とりあえずヘモグロビンが8と言われ、輸血した方が早そうな貧血だった。すぐ鉄剤を飲み始めたけど、さほど改善しなかった。



鼠蹊部に何かがあるのかもしれないと思った私は、MRIを撮りたかった。でも、イギリスでは医療費は完全に無料だけれど、その代わり待ち時間が長く、MRI検査など何か月待たされるか分からないほどだった。なので、又日本に帰り、集中的に検査をした。



何の問題もなかった。貧血すら治っていたけど、そもそも貧血はイギリスの医者の間違いではないかと思う。いくらなんでもあんなに早くヘモグロビンが8から12に上がらないと思うし。



そして、色々検査をして、何の問題もなかったことをもって、「線維筋痛症」という診断を受けた(他に問題があるのならそちらの病名となるので)。

この難病についてはいつか記事で書くけれど、これは、主訴が「痛み」だったからそうなっただけであり、実際のところ、「筋痛性脳脊髄炎(日本名は「慢性疲労症候群」)」なはず。「痛み」と「疲労」とどちらが強いかの違い。疲労が「症状」だとは思っていなかったので痛みしか言わなかったために線維筋痛症の診断になっただけだと思う。起き上がれないほどの脳内疲労があると最初に言えば、「筋痛性脳脊髄炎」の診断だったと思う。日本では「慢性疲労症候群」の診断名となっただろうけど。

マイドクターも分かっているし、どちらでもいいので診断は線維筋痛症だけのままだけど、自信を持って「筋痛性脳脊髄炎」だったと言える。





そこからが大変

線維筋痛症や筋痛性脳脊髄炎は、あらゆる症状がでる難病。でも、検査をするとどこも悪くない。主に痛みが顕著だけれど、鎮痛剤で痛みを止めるのではなく、違う薬が処方されることが多い。

そして、処方される薬のうちの一つに、抗てんかん剤がある。てんかんでもないのにてんかんの薬を飲まされるのは、脳のシグナル異常で痛みが起きると言われているので脳の働きを止めれば痛みも鎮まるだろうという根拠らしい。



てんかんではないけれど抗てんかん剤を眠る前に飲むようになったら、熟睡するようになった。「生まれて初めて眠った」と思ったほどだった。

抗てんかん剤で鎮むということは、私の脳は、ずっと動いていたのだなと思った。



でも、記憶障害がひどくなった。特に、「リリカ」という薬を飲んでからは更にひどくなった。と言っても、この病気の症状のうちの一つに記憶障害があるので、薬だけのせいではないと思う。



車でテスコに行って買い物をして外に出たらどこに停めたのかを完全に忘れており、車で来たことは覚えていたけれど、自分の車を見つけなければいけなくなったこともあった。「疲れ」と記憶障害は比例しており、数日疲れが続いた後は、どうやって帰ってきたか覚えていなかった事もあった(病気の詳細については他の記事で書きます)。

全体的に記憶力が落ちたというより、突発的に飛ぶというか、失うというか、飛んでしまうという感じだった。長期記憶には問題はなかった。



でも、「本当に脳がおかしくなったのなら第二言語で話すのは無理だろう」と思っていたため、イギリスで英語での生活ができている以上は大丈夫だろうという最低限の安心があった。

だけどそれでは、私が望んだ人生は得られなかった。





「知能指数」という感覚

記憶力が飛び一番最悪だった次期、私は、ロースクールにいた。世界で一番難しいと言われている法学部のコースを、それも、第二言語で学んでいた。その前に通常の大学院で法学部にいたけれど、大学院などというものは、所詮は海外からの留学生がくることが前提となっているため、かなり楽なのだ。

それに引き換え、ロースクールとは、弁護士になる者がとるコースなため、ネイティブしかいないことが前提のもの。教師の話すスピードは、大学院とは全く違い、2倍ぐらいの早さだった。その上、外国人がいないと思っているためか、使われる単語のレベルも高い上、ローカルだった。イギリスで生まれていなければ知らないであろう、昔テレビでやっていたコマーシャルの話などが出てくることもあった。



試験は、辞書持ち込みが可能なほど難しかった。日本の大学で辞書持ち込み可能の試験はまずないと思う。海外の大学院でも、いくら外国人でも、試験中に辞書など使わせてもらえない。ロースクールはネイティブばかりだけれど、それでも辞書の持ち込みが可能なのだ。判例が多く、医療などの専門用語なども出てくるからだと思う。

私の友達は、ネイティブだけど、悉く試験に落ち、「向いていないからやめたほうがいい」と教師から言われて諦めてやめてしまった。大学学士レベルで法学部へ行くのと、ロースクールのインテンス(集中)コースを受けるのは、かなり違うと思う。



人生で一番脳が出番な時に、一番動かなかった。そこで、「知能指数が20ぐらい下がった感覚だ」と思った。それから具体的に知能指数を気にするようになったけれど、まだそれどころではなかった。



右半身には力が入らずに引きずった状態で、洗いものをしているとグラスを落として割るので、高いものを買うのはやめてテスコで格安のグラスを買っていた。長時間座位を保つことも困難で、友達と会うのなら椅子に3時間ほど座っていなければならないので、その後数日寝たきりになることを覚悟しなければならなかった。朝は尾てい骨と背中の痛みと共に置き、起き上がりこぼしは止まっていたけれど、痛みですぐには動けなかった。蹴り飛ばされた痛みや、食器棚を投げられたような痛みもあった。刺されたと思って驚いて起きたこともあった。

勉強は、寝ながら左手で教科書を持って読んでいた。光過敏は強く、筆記障害もあり書いて覚えるのではなくタイプをして覚えていたため、目をつぶったままパソコンにタイプしていた。

因みに、筆記障害は今でも残り、試験で長時間論文であれば、障害を申請してパソコンを使用させてもらわなければならない。



深川署では、病名は言わなかったけれど、上記内容のような様子だったことは話していた。にも関わらず、警視庁の中村一彦らは、私を約半日に渡り1分の休憩も与えずにプラスチックの椅子に座らせたままという監禁状態を行った。病状が悪化していたら皆殺しにしてやりたいと思ったと思うという気持ちは、分かって頂けると思う。

犯罪者が偉そうに犯罪者を逮捕する仕事に就いて自らの犯罪を揉み消しながら税金で報酬をもらっていればクズでも人生が楽でいいが、私の人生はそんなお気楽なものではなかった。



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