では、宿も連泊で確保できたし、スーツケースを置いて身軽になって、観光へ行こう。
するとまた、元気に挨拶してくれた彼に会っちゃったのです。どこで会って何を話したかは忘れたけど、ヤクのヨーグルトを食べてみたかった私は、彼と一緒に食べたようです。一人で食べた気がしていたけれど、彼も食べたと後から教えてもらいました。
ヤクヨーグルトは、別にレストランで食べるとかではなく、道で普通に売っていて、そこに椅子があるのでその場で食べられます。
お味はというと、
とてもぬるくて味わうどころではなかったかな。外で売っていたので冷蔵庫に入っていたわけでもないし。どんなヨーグルトだろうと、ぬるまあたたかかったら美味しくはないと思うよ。
冷たかったらもっと美味しく感じたかな。とりあえず、ヨーグルトというか、何かぶよぶよのものを食べてるだけのような感じだった。
さて、それからすぐポタラ宮の写真を撮ろうと思って移動しました。大きいので、まず向かって右から撮ろうと試みた。
ポタラ宮から離れたり近寄ったりしているうちに、その彼とははぐれてしまった。そこではぐれて良かった。すぐに話もできないような状態になったので。
ポタラ宮とは、ダライラマの宮殿で、確か世界最大級のものなはず。お部屋が千も二千もある。もちろん世界遺産です。少し高いところにあり、見上げるかたちになるので、雲をバックに、何ともはやご立派に見える。
雲、ものすごく近かった。私は毎日、「雲がすぐそこだな」と思っていた。手でつかめそうだった。天空の宮殿という感じだった。
宮殿のすぐ下は道路なので、車が走行中に撮ると急に近代化して見える。
だけど、リキシャもちゃんと走っているので、新旧混合。
宮殿正面の下にはお花が咲いていました。ちょっと暗いけど。
少し離れたら池があったので、そこから何枚か写真を撮ろうと頑張り始めた。
そして、忘れもしない、この写真を撮ったとき、やっと気がついた。
何かがおかしい。
体が動かない。フラフラする。息が苦しい。だるい。
この時、ラサ到着から4時間ほどだったかな。体内の酸素が足りなくなってきたのでしょう。
酸素が三分の二に減る高地では、通常のままいられたらラッキーです。
山登りなんてしたことはなかったし、高山病がどんなものかなんて知りもしなかった。
高山病になったことがある人には説明なんていらないだろうけど、高山病になったことがない人のために言うならば、一気に90歳か100歳になった状態です。軽快に動けるわけがない。
頑張ってリキシャに乗ってどこかへ行ったらしいけど、
どこへ行ったのかは覚えていません。着いた途端座り込んでしまって動けなくなったのは覚えているけど。仕方がないから、もうホステルへ帰ろうと思って又リキシャを捕まえてホステルへ戻りました。
そして、この日の写真は、上のリキシャの背中のものが最後です。写真どころではなかった。
ホステルへ戻り、まず売店で酸素と水を購入。
酸素缶の写真を撮らなかったので使用した実物を見せられなくて残念です。他から拝借しようと探してみたけれど、下の写真のようなものしか見つけられませんでした。私が使ったのは違うものだけど、普通の酸素スプレー缶はこうだと思います。
私が買ったものは、というか、あのホステルの売店で売っていたものは、チューブがついていて、鼻に直接入れられるものでした。なので、見た目は「入院患者」だった。
ホステルに戻るなりいきなり動けずに、売店でやっとの思いで買った酸素をロビーで座って吸っている。しかも、乾燥で涙がボロボロ。
「泣きながら鼻からチューブ」にしか見えない状態。かなり恥ずかしい姿。
それでも、何か晩御飯を食べようと、死ぬ気で階段を上りホステルのレストランへ行ってみました。何を食べたか覚えていないけど、ほとんど食べられなかったのは覚えています。
当時、私は必ずカロリーメイトを旅行に持って行っていたので、仕方がないから後でそれを夕食にしようと思って、ほぼ残したままお会計。
部屋に戻るにも、部屋は2階(か3階)で、ホステルにはエレベーターがなかった。売店で買った3リットルの水を持って階段をのぼりながら、「絶対に部屋を変えてもらおう」と誓った私。
100歳には階段など簡単には上れない。3リットルを引きずって、這うように上りました。
やっとの思いで部屋に着くと、お風呂支度。旅行中は、必ず2回シャワーを浴びます。夜はバスタブがあればお風呂につかります。
もちろんこの夜もお風呂に入ったけど、「ダメだ」と思って、すぐお湯を流して出た。高地でお風呂など、命取りになるかもしれないことを良くもやったもんだと思う。死んでもおかしくないじゃないか。
ベッドへ行くと、「とにかく3リットルは飲め」と言われていたのでガブガブ飲み始めたけれど、1リットルで断念。
「人間、そんなに一気に水分を取れるものではない」と心底思った。カエルがお腹だけふくれてるみたいなイメージだった。破裂する・・・。
そして、死んだように眠りました。高山病に気がついてから数時間は頑張っていたので、苦しくて寝る以外のことはできない状態だったけど。
こんなに動けなかったら旅行が台無しではないか・・・と悲しむ余裕もなし、ただただもう半分意識がない状態で、気がついたら翌日でした。