① パワハラの後に行われた手術 ー 医者ならどんな手術でもできるのか

※本記事は、以下のメイン記事の詳細・補足です。


診察に同伴しなかったことの後悔と既に起きていた誤診

2015年10月6日(胃癌の診断)

私の父は、1人で昭和大学江東豊洲病院へ食道癌の術後検診に行きました。私も一緒に行っていたら、井上晴洋に手術を頼むようなことはせず、帰ってから医者を探していたはずです。

父の食道癌の内視鏡手術を施したのが井上晴洋でした。内視鏡が得意な医師なため、食道癌の手術は問題なくうまくいきました。そして、その後そのまま昭和大学江東豊洲病院で井上晴洋がフォローアップを行っていました。

この日、一人で検診に行ってしまった父は、井上晴洋からスキルス胃がんだと診断され、その場で胃全摘の手術を予約して帰宅しました。診断を聞いた私は、すぐに胃がんの専門医を探そうと思ったのですが、手術はもう昭和大学江東豊洲病院にて予約したと言われ、井上晴洋が執刀するのかと父に尋ねたら、きっとそうだろうと言われました。

内視鏡の専門医がメスを持って開腹手術などできないだろうと思ったので、他の医師が担当するのかもしれないと思い、次回の診察には一緒に行って確かめようと思いました。

手術は11月2日で、手術までは一か月もありませんでした。




2015年10月13日~30日(入院前)

10月13日、17日、21日と、大腸カメラや心電図エコー等の検査をしました。

10月13日、私も父と一緒に診察に行き、井上晴洋から説明を受け、井上晴洋が執刀医だと井上から聞きました。「なぜこいつがやるのか」と思いましたが、とりあえず、「そうですか。それは安心ですね」と言っておきました。井上晴洋は、この時もですが、患者と話す時でも平気で椅子に浅く腰掛けてふんぞり返ったまま足をのばし、大きな声で偉そうに話す男でした。あんな態度の医者は、後にも先にも見たことがありませんでした。褒めれば機嫌がいいので、まさか血管も分からないほどの知識と思わなかったため、他の医師も一緒に手術を行うだろうと思い、とりあえず井上晴洋でも大丈夫かもしれないと思い、妥協してお世辞を言っておきました。

ですが、スキルス胃癌だと思って説明を聞きに行っていたのですが、胃を全摘しなくてもそのうち進行するかもしれないというような説明等、粘膜下で広がっていくようなスキルス胃癌の話ではありませんでした。なぜ井上晴洋の話が違っているのか不思議に思ったまま帰宅しましたが、17日に井上晴洋の診察を受けた時は、今度はスキルス胃癌の話になっていました。

13日か17日に、10月6日に行われたCT読影結果と内視鏡の検査結果を他の医師に頼んでプリントアウトしてもらい、やっと意味が分かりました。胃がんは、スキルス胃癌と、噴門直下の早期胃癌の2種類ありました。井上晴洋は、最初に父のみで診察した時はスキルス胃癌の話をし、次の診察時に私がいた時はカルテも良く見ずに早期胃癌の部分だけ見てその話をし、3度目の診察時には、スキルス胃癌のところまできちんと読んだのか、スキルス胃癌の話に戻っていたようでした。

軽率な人間なので、仕事が適当なだけだろうと思って特に何も言わずにいましたが、スキルスとなるとやはり胃は全摘となる可能性が高くなるところ、早期胃癌だけを考慮すれば胃の一部だけを取って残りの胃を残すことは可能なはずなので、全摘は避けたかったので、相談してみることにしました。

おそらく10月17日と思われますが、診察時、胃の全摘者は貧血になりやすいため鉄剤の処方が前もってなされたのですが、井上晴洋は、パソコンで鉄剤を探しながら、「クエン酸て何だっけ?」と後ろにいた若い医師に聞きました。

クエン酸とは、第一鉄です。胃の全摘後は貧血になるために鉄剤が処方されるので、胃の全摘術に慣れていれば、鉄剤の名前は当然に知っているはずでした。でも、井上晴洋は、そんなことも知りませんでした。

その他、日付は不明ですが、このあたりの日だったか、内視鏡の検査結果にて喉頭癌が認められているようだったので、転移はないと聞いていたので、昭和大学江東豊洲病院へ電話をして問い合わせました。後から井上晴洋から直接電話がかかり、

「それは、癌は癌でも、私たちのあいだでは癌ではないというか、癌なのですが、癌というわけではないのです」

という意味不明な返事があったので、これも知らないのか又は白板症の話をしているのか分からないため、「白板症ですか?耳鼻科でもそんなことを言われていたと思います」と言って終わらせました。

でも、結局これは本当に癌であり、翌年の2016年5月頃、他院にて喉頭癌の診断を受け、胃がん手術から1年も経たないうちに放射線治療となりました。

昭和大学江東豊洲病院のあいだでは、喉頭がんはがんでもがんではないようです。


カルテ開示をして分かりましたが、2015年の11月1日の手術前日、「左内喉頭の上皮内癌あり、そちらは後日対応する」とカルテに書かれていました。井上晴洋は、自分の術後に脾臓が消えていると分かっても、「切ったかもしれないでも切ってないかも」と言って誤魔化し、誰か違う人のせいにしようとしていました。喉頭がんもやっぱりがんでしたが、後で対応すると、がんではないと嘘をついていたことが分かるからか、対応することもしませんでした。




2015年10月31日(入院日)

胃全摘手術のため、父が昭和大学江東豊洲病院に入院しました。



手術前夜の説明とパワハラ

2015年11月1日(手術前夜に怒鳴る)

手術前日の夜になり、やっと手術の説明と同意書署名が行われました。もちろん私も参加していました。井上晴洋ともう1人の医師がいましたが、これが同意を取った松尾海なはずです。

どうしても胃の全摘を控えて欲しかった私が、摘出は胃の上部だけにはならないかと井上晴洋に聞いてみました。「スキルスは全体に広がるので」という話で、今回はスキルス胃癌の話でした。毎回2か所の癌の片方しか覚えていない程度の記憶力だったので、「検査結果を他の方から頂いて見ましたが、癌が2種類ありますよね。上のほうの(噴門直下の)癌だけ取って頂き、胃の下のほうは残してもらうわけにはいきませんか」と私が頼んでみると、自分が間違えたのが恥ずかしかったようで、



「だから患者に結果レポートなんて出したくないんだよ!!!」



と、夜でしたが、私に向かって、ものすごく大きな声で怒鳴りました。医者はもちろん、通常の人間でもあんな風に怒鳴る人は滅多にいないと思います。患者には診察結果をもらう権利があるはずですが、結果を患者に出したくないようです。そして、怒鳴って脅して黙らせようとしていました。

その後、井上晴洋は、松尾海を連れて部屋の外に出ました。松尾海は、「2度とあいつに結果を書面で渡すな」と怒られたと思います。松尾海だけが部屋に戻り、井上晴洋は帰ったようでしたが、なぜか数分後に戻ってきました。どうやら、結果をカルテで確かめたようでした。

自分が間違っていたと分かり恥ずかしかったのか、今度は怒鳴るでもなく急に猫なで声を出し、「胃癌が上部にある場合は、全摘するほうがいいんですよ」と説得し出した。その豹変ぶりが精神異常者のようで気持ちが悪かったのですが、余計なことを言って翌日父親の手術に何かされるのも嫌だったので、開腹して全摘が必要なさそうだったら止めて欲しいとだけ頼みました。

結局、余計なことを言わずに井上晴洋のパワハラも我慢しましたが、父は生きたまま脾臓を切られてしまい死んでしまったので、好きなだけ文句を言うべきだったと思っています。


井上晴洋は、この日、ヨーロッパから戻ったばかりだと言っていました。休みもせず病院に来ていました。同意をとったのも夜でしたが、手術は翌日早朝からでした。ただでさえ血管が分からない知識だったであろうにも関わらず、時差ボケで翌日の手術を行ったわけです。


それと、この後、結果を書面でもらうことは二度とありませんでした。なので、リンパ節に転移が5か所あったことも知らされず、転院した国立病院から聞いて知りました。癌のクラスが3bだったことは知らされた気もしますが、腹膜播種はなく、他臓器転移はないことのみ聞いた覚えがありますが、腹膜播種でした。リンパ節転移があれば術後経過は想像できたはずですが、喉頭癌も分かっていなかったので、説明できるほど癌についての知識はないようでした。


その喉頭癌についてですが、後日対応するというカルテ記録時間はこの日の夜8時3分なので、この話し合いの後に書かれたとようです。この時に結果を確認し、喉頭癌に気が付いて追記したようですが、私たちには隠していました。喉頭癌も脾臓切除も、他院から聞かされる結果となりました。

カルテ開示をしなければ診断結果すら知らせない病院と医者ですから、皆さんも気を付けて下さい。



2015年11月2日(手術日)

予定通り手術が行われました。

他臓器転移はないと聞かされ、手術前と手術後の説明は、どちらも胃とリンパ節切除摘出についてのみでした。当然ですが、与えられていた本人と家族からの同意も、「胃全摘及びリンパ節郭清手術」に対してのみでした。

術前に渡されたその他の書面全てにおいても、「脾臓」の文字は全くありません。



患者本人に家族の悪口を言う医師

2015年11月3日~22日(入院中)

術後、脾臓切除は知らされず、胃だけを全摘した患者として治療・療養が続きました。



2015年11月23日(退院日)

退院時になされた説明も、胃だけを全摘した患者に対するもののみでした。脾臓がない患者に対する説明、例えば、肺炎球菌ワクチン接種などについてはもちろん、感染の可能性等の説明も一切ありませんでした。





2015年12月1日(退院後最初の診察日)

この日は、退院後の最初の診察でした。脾臓切除も知らされませんでしたし、喉頭がんについても知らされませんでした。

カルテには「畑佳孝」医師の名で、抗がん剤を開始したいが経過観察と書いてありましたが、抗がん剤について聞かれたのは、この次の診察時です。



2016年1月5日(退院後2度目の診察日)

この日、井上晴洋より「抗がん剤はどうしますか」と聞かれました。やる意思はありませんと告げると、「そうですね、あれはあんまりね・・・」とあっさり終わりました。井上晴洋自身、抗がん剤賛成の立場ではないようでした。

ですが、胃癌のガイドラインに抗がん剤を強く勧めるようにと書かれているので勧めないとまずいと思っていたのか、紹介状(診療情報提供書)には、「抗がん剤を強く勧めたが」私たちが拒否したように書かれていました。そして、2018年に脾臓を切られていると知った後に井上晴洋と面談した際も、カルテを読みながら、抗がん剤は「強く勧めたけれどもお断りになった」と言っていました。

強く勧められてもいなければ、詳しい説明も受けていませんが、もはや自分で何が何だか分からないようです。

私も父も抗がん剤を望んでいなかったため、井上晴洋が抗がん剤反対の医師であることについては、しつこく言われないで助かったと思っていまいた。抗がん剤につき説明して強く進めなければいけないという説明義務を果たしていなかったとは知りませんでしたが、別にそれにつき責めるつもりもありませんでした。

脾臓を切られているのに抗がん剤などやったらもっと何回も感染してあっという間に死んでいたかもしれないので、やらなくて良かったと心底思っていますが、ガイドラインに従わなかったことを隠すために「強く勧めた」とカルテに記載するのは、虚偽でしかありません


2016年6月28日(退院後4度目の診察日)

術後約半年後であるこの日は、退院後4度目の診察日でした。

私は3回目までの診察には毎回同席していましたが、井上晴洋は、質問の答えに対し私が何かを言うと、「そんなことあなたと議論したってしょうがない」と、偉そうに患者家族である私をバカにして完全に拒否したことが数度ありました。「お前こそ何様だよ」と思っていましたが、井上晴洋は、知らないことを言われると気に入らずに議論をしてもしょうがないと誤魔化し、間違いを正すようなことを言おうものなら、大きな声で怒って大変でした。

井上晴洋は話ができる相手ではないと思いましたので、父の回復が順調ならわざわざ怒鳴られに一緒に行くこともないと思い、4度目の定期検診日には同伴しませんでした。

ですが、後になって父から聞きましたが、娘である私が同伴していないと言うと、

「そうですね、あの人は来ないほうがいいですよ」

「あの子はちょっと・・」

と、娘の陰口を平気で父親に言っていたようで、「良く親にあんな文句言うよな」と驚いていました。

医師が患者家族の悪口を言うなどとは信じがたい行動ですが、井上晴洋は、そういう人間です。


ですが、この4度目の定期検診時には、既に「癌じゃない」と井上晴洋から言われていた喉頭癌の診断を受けて国立病院の放射線科で治療が始まる前でしたので、父には、転院のための診療情報提供書をもらってくるようにと言ってありました。

あの軽率さと独裁者振りでは、井上晴洋はいつか必ず重大なミスを起こすと思い、次に何か手術があれば殺されるかもしれないので、手遅れになる前に転院させようと思っていました。

そしてこの日、術後最初のCT検査が行われ、画像では脾臓はないので気が付かなければおかしいのですが、脾臓切除や喉頭がんや腹膜播種についても何も聞かされることもなく、検査結果は全て異常なしと言われていました。

そして、自宅近くの病院へ転院することになりました。もちろん紹介状(診療情報提供書)には、脾臓切除のことなど一切書かれていませんでした。


2017年

転院先の病院にて2度ほどフォローアップの診察をしました。私が読影結果を見るべきでしたが、転移が分かるまで、読影結果を確かめていませんでした。

もちろん、昭和大学江東豊洲病院からも井上晴洋からも、脾臓切除については何の連絡もありませんでした。

そして、2018年になり、全てが判明しました。


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