この一人旅を振り返って(パプアニューギニア編)



随分長くこのページを書けなかったけど、やっと書ける時がきました。




旅行が終わると、その旅行がどのように自分の人生に組み込まれ、その旅行のお陰で何を学べたのかが見えてきます。そして、それを正直にここに書くことで、一人の人間が一旅(ひとたび)終えてきたことを表現しています。

でも、パプアニューギニアの旅行については、なかなか書けなかった。






この旅行前、あまりに疲れてしまい脳に響いたらしく、記憶力がおかしくなり毎日物忘れをしている状態でした。毎日仕事で頼まれたことをことごとく忘れていた状態なので、パプアニューギニア旅行支度の事も旅行中のことも記憶から飛んでいたようだけど、全然不思議ではないと思う。

旅行中も良く見えておらず、パプアの子供たちが真っ直ぐ私を見てくれていたことにも、女の子たちが一生懸命話しかけてくれていたことにも全く気がついていなかった。




天使のような子供たちの気持ちを無視したことは、今でも罪だと思っています。

あれでは、自国の裕福さを誇りに思い伝統を残す文化の国をさも物珍しそうにただ写真を撮っている無神経なバカ旅行者と同じようなものと言われても仕方がないと思う。

汚い人間なわけではなかったのに、あんな笑顔が作れる子供たちと、なぜもっとコミュニケーションをとらなかったのか。






色々悩んだままで、何も見えていませんでした。忙しかったのは仕事だったけれど、その人生の中、しっくりこなくて、ずっと悩み続けていた。

自分の存在がどこにあるのか、どこでそれを表現するのかというか、人と会っても何かが足りていなかった。「話をする」ということに、限界を感じていた。

そして、帰りの飛行機の中で、決断しました。




自分の居場所は文書の中であり、感受性を大切にし、文字の中だけで生きていければそれでいいと本気で思った。存在しなくても、文字の中に私がいればいいと、真実は文章の中にだけあればいいと思った。だから、無理せずに生きようと。

今は、何故書くほうが楽なのか、謎が解けています。






その後、書くことすら一時期やめてしまったのですが、やがてこのサイトにて旅行記を書くようになり、表現の場が見つかりました。そして、2020年11月には、旅行記以外も幅広く書いていくことになり、描写集も出版することになるのです。



パプアニューギニアは、特に首都は今ではかなり都会になっていると思います。私の人生も、やがてイギリスに留学し、家族も死に、色々なことがあり、めちゃくちゃになりました。




でも、私が文章の中に生きているということは今でも変わっていません。

どれほどの時を経ても決して変わらないものがあるのだと、今でもこの旅行が教えてくれています。




そして、その「変わらないもの」は、「失ってはいけないもの」として持ち続けなければいけないのだと思います。



例えその才能に自分が殺されようとも。






「パプアニューギニアかな」と突然思い立って行ったこの旅行、「文章の中でだけ生きていければいい」と初めて思わせるに至ったこの国に、「呼ばれた」のだと思います。

純粋な人たちが、笑顔で「それでいい」と教えてくれました。





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-パプアニューギニア一人旅

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