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⑨コロナ禍の公務員在宅休暇と公訴時効への苛立ち

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緊急事態宣言

松島太との最初の面会の翌日、手術動画のスクリーンショットや説明の他手紙も添えて地検に持って行き、事務官に渡しておいた。


「法相の人事凍結と動画鑑定の延期」

その数日後、勤務最終日であろう日に、松島太から電話があった。「最後の日にご連絡ありがとうございます」と言ったら、緊急事態宣言を受け、法相が検事らの人事異動を発令日前日に凍結しており、異動が延びて今後しばらくは東京地検に残ることになったと告げられた。それを聞いて、喜んだ。検事が変われば又同じ話をしなくてはならないので時間の無駄だし、新任はもっとひどい検事かもしれないし、何より、「責任逃れ」をされることが嫌だった。起訴ならいいが、不起訴になった場合、「前任と後任の検事とどちらの責任が大きいか」は、はっきりさせてもらわなければ困る。できれば起訴不起訴まで、そうでなければ、その殆ど全てを松島太一人で行って欲しかった。

そして、コロナのため、病院に簡単には行けなくなっており、手術動画を見てもらおうにも病院側がなかなか受け入れてくれないということも聞かされた。要するに、当分動画確認は無理だということだった。警察は、私への違法行為だけは早かったが、ろくに仕事をしなかったため、「義務が生じるから申立書に書き替えてくれ」と頼まれた最初の告訴状を提出してから既に2年の時が過ぎていた。ろくに仕事をせず放っておかれたお陰で、この世がコロナ禍になり、医療事件が故、病院に行けないために更に放っておかれるということだった。


「国家公務員も在宅勤務」

翌週、無駄に待たれては困る上にあの知識では危ないので、待っている間に勉強してもらうため、血管等の細かい説明をしようと思い、会いに行きたいのだが時間はとれるだろうかと松島太に電話をした。すると、時間はあるけれど、コロナで在宅勤務になり毎日出勤しているわけではない上、検事の部屋に来客を入れることも難しいと言われた。なので、細かいので絵を見せながら会って口頭で説明しようと思ったのだが、再び書面を作成して文書で説明することになってしまった。

脾臓は動脈が切られていたから血管から血液が(栄養が)送られず指ほどに萎縮して小さくなってしまっていたのだが、警察は「萎縮は血管の梗塞が原因だ」と主張していた。血管は切れていたので梗塞もへったくれもなかった上、生前のCTでも、血管は切られた部位辺りまではっきりと追えているが、梗塞はしていない。警察はそのCT結果を持っていたのだから梗塞していないことは知っているはずなのに、血管が梗塞したとメチャクチャなことを言っていた。まさかそんなバカげた話を信じる者などいないと思いながらも、一応検事にも説明しておこうと思った。数千文字の文書を作成し、絵も同封して最初の1ページの一部にこうはっきりと書いたが、今思えば、松島太には難し過ぎたかもしれない。

「描かれていますように、脾動静脈は、分岐して数本で脾臓に繋がっています。3センチでは、束になった動静脈と同じぐらいの大きさになってしまうのではないかと思います。それでも、血管ごと梗塞していたのならまだ説得性もありますが、梗塞を裏付けるものがない上、脾臓は動脈とは繋がっていませんでした。どうしても常識で考えられずに萎縮を主張したとしても、解剖結果で出た動脈が切れているという一行で萎縮どころか血管に繋がっていなかったのだと判断できたはずです。」

この他、動脈切除の後に結紮だけしている部分が不思議なこと、その結紮が多重結紮であろうこと等、かなり詳細に説明を書いた。医学系の説明というより、ただのパズルで、臓器は勝手に移動しないという説明をしているだけだと思うし、この事件を理解しているものなら分かって当然の内容だったと思っている。

こんな思考回路は、受け入れられないと思うので。

警察 「発見者は、人間の右腕を501号室で見つけたそうです。腐っていました。」

検事 「そうか。発見者は、右腕が切られたと言っていたか」

警察 「いいえ」

検事 「じゃあ切られたのではないな。何で腐ったのだろう」

上記の場合、「酸化」も強く関係していると思うが、栄養分を断たれたら縮むのは当たり前だ。私もあなたも、食べなければ痩せていく。悩むほうがおかしい。


動脈が切られたから脾臓が縮んだのだが、切られていないことにしているとは知らず、又数千文字の説明文書を作成した。そして、郵送より手渡しのほうが早いと思い、再び地検へ持って行った。




二度目の面会

地検で受付に文書を預けて帰ろうとしたが、丁度本人が出勤の日だったらしく、松島太が1階まで降りてきてくれた。数千文字の説明文書を渡して、部屋には行けなかったが、1階の待合椅子で少し話した。


「在宅休暇でコロナで散歩」

隔日出勤のようだったが、事件に関わる大事な書類など家に持って帰れないだろうし、検事がどうやって在宅勤務をしているのだろうと思っていた。すると、会話中、在宅勤務につき、

「ヒマなんですよね・・・」

とボソッと言ったので、冷や汗だった。遊んでいられては困ると思い、

「地検から書類を持ち帰ってはいけないだろうし、読むものもないでしょうからね。私のこの文書は持って帰っていいですから、私本人が許可しますから、家で読んで下さい」

と焦って言ったら、

「いや、持って帰るのは大丈夫なんですが」

と返答されたので、絶望的だった。資料を持って帰っていいのなら、何故ヒマなのだ。仕事だらけではないか。異動前なので新規事件に着手していなかったとしても、うちの事件がある。うちの事件は医療事件なので、勉強することはたくさんある。何故ヒマなのだ。そして、この時だったと思うが、「散歩したりとか・・・」とも言われ、更に焦った。

あの時期あたりから、地方自治体の公務員は、10万円給付のために連日残業だったはずだ。福祉貸与等の担当者もまたかなりの仕事量だったと思う。一国の犯罪を扱う国家公務員の検事がコロナで在宅勤務で散歩に出ており、しかもその検事がうちの事件の担当では、私も冷や汗が止まらなかった。仕事をする気がなさ過ぎだ。散歩などしていないで、少しでも解剖学や脾臓について勉強してくれればすぐに解決できる事件だったはずなのに。


「法的センスを疑う2」

絶望しながら渡した文書には、前回の文書より細かく説明が書いてあったが、その他、石田篤識が虚偽を述べたことも含め、警察の職権濫用罪についても書いてあった。そして、民事の損賠の時効は告訴調書だと知った時から進行するだろうからとも意味もなく書いておいたが、これは、石田篤識の虚偽を文書に書いて残しておきたかっただけだった。録音していなかったため、松島太に後から「告訴調書だったなんて言っていない」と虚を吐かれては困ると思ったので。そして、そもそも「謄写を取れば分かるのに何故そんな嘘をつく必要があるのか」と不思議だった。

被害者は、法律(※)により、裁判最初の日から終わりまで、事件の記録の閲覧や謄写を求めることができる。そして、その請求ができる「事件の記録」の中には、私の書いた告訴状はもちろん、警察が私を10時間以上監禁状態にして作成した調書も含まれる。従って、謄写をとれば「告訴調書」と書かれた文書が手に入るわけであり、石田篤識が補充調書だったと嘘を吐いたことは遅かれ早かれ私にばれることになる。しかし、同法では、「不起訴」になった場合は含まれず、刑訴法に従えば、不起訴なら(公判が開始されていないので)謄写請求ができないことになる。だが、法務省の通達により、不起訴となった場合でも、一定の犯罪についての不起訴なら被害者等からの謄写請求が可能となっており、その「一定の犯罪」には、私が告訴した「業務上過失致死傷害罪」が含まれるため、結果的に私は不起訴でも謄写請求が可能ということになる。これを知らずに、「不起訴なら謄写がとれず嘘がばれないから不起訴にしてやろう」と石田篤識や中村一彦らが思っていても不思議ではない。

※ 犯罪被害者等の権利利益の保護を図るための刑事手続に付随する措置に関する法律

「謄写をとれば分かるのに何故隠したのでしょうね」と松島太に言ったのだが、少しきょとんとした顔をされたのを良く覚えている。そしてこれが、最後に会った日に、「このクズ検事が」と私に思わせた事だった。

とりあえずこの時はまだそんなことは思わず、刑事らを痛烈に批判して書き、絶対に警察を信用せず検事がやって欲しいこと等も書かれた文書を渡しただけだった。これも警察に見せてもいいのかと聞かれたので、もちろんいいと言った。逃げているのは警察のほうであり、私ではない。すると、前回の文書もマスキングをするのが大変だったからあまり批判を書かないでくれと冗談交じりに言われた。何と、警察が読むと見越して痛烈に書いてあったのに、黒塗りしてから警察にFAXをしていたらしい。そこで、「何で隠すんですか。そのまま出して下さいよ」と言ったら、

「私がもらった物なんだから、私が好きにしていいんです」

と言い返してきたので、又しても「あれ?」と思った。俺の物は俺の物というジャイアン的発言ということではなく、これは多分、法学部なことから考えても、「所有権」の話だろうと思った。例えば、これを作成しているパソコンは私の物なので所有者は私であり、私がこのパソコンに対して持つ権利は「所有権」と呼ばれる。そして、所有権は、その物を自由に使用・収益・処分することができるという権利である。だから好きにしていいということなのだが、所有権は、有体物に対する権利である。松島太がマスキングしたのは紙なので有体物だが、実際マスキングしたものは私の書いた文章の内容であり、文章は有体物ではない。書かれた物に対する権利は「著作権」であり、それは私に帰属する。松島太に譲渡した覚えはない。私の著作物の内容を変更するのなら、「俺が好きにしていい」というわけにはいかない。

とはいえ、マスキングすること自体が著作権を侵害しているわけではない。可哀想だと思って隠しただけであり、法的に考える話ではない。「好きにしていいのだ」とその処分権の有無で考える話でもない。従って、所有権的発想が出てくること自体がおかしい。検事なので刑事法しか使わなくなっているわけだが、どうやったら民法の基本を忘れるのかと思い、私を又不安にさせた。

「別に所有権の話などしていたわけではない」と言うのなら、いい大人が売り言葉に買い言葉で「私のものだから好きにしていい」と言ったというジャイアン的な話となるのだが、その後、納得がいった。


「警察の犬」

所有権で少々あっけにとられていたために何を話したのかは忘れたが、続けて、

「私たちは、政府の犬ですから」

と言われて衝撃だった。一般的に、「政府の犬」とはどの団体の事を言うのだろうか。公務員全員だろうか。そして、「政府」とはどこまでが政府だろうか。「政府」を広義で捉え、政府とは「国家機関」であるとするのなら、検察庁も警察も国家機関であるため、「警察の犬」とも解釈できる。そして、それが正しかったのだろうと最後の日に分かった。

因みに、勝手に検事全員を巻きこんで「私たち」と言っていたが、他の検事は犬ではないかもしれないので、とばっちりで迷惑なので、「私たちは」ではなく、「私は」にするべきだと思う。


「その人の欠点を知るには、二回会えば十分」だと思っている。前回と今回の二度の面会で観察できたことは正しく、会った最後の日には、これらが全て反映された悲しい結果となった。




三度の電話

松島太に二度会ってかなり不安になっていたが、きっと大丈夫だと思っていたし、時効間近なのにコロナで鑑定医に会えないということのほうが私を苛立たせていた。それで公訴時効が完成したのなら、警察の思う壺だと思ったので。


「電話一度目」

でも、緊急事態宣言は延長されるようだった。その延長の発表を受け、数日振りに松島太に電話をした。検事の異動はまだ当分凍結状態のようだったが、鑑定医に会うこともまだ当分無理そうだった。更に長い間放っておかれることが腹立たしかった。


電話での雑談中、法律家の成れの果てのお陰で法改正が流れていたため、検事らは定年が63歳という中途半端な年齢のままになって可哀想だなと思い、「延びちゃいましたね」と言ったら、あまり定年まで働く検事はいないからと言われ、それなら良かったと思った。年金が65歳からで定年が63歳では、2年間の空白ができてしまう。働かなくては貯金が減るばかり。90歳まで生きるなら残り27年もあり、1年で1人100万円しか使わなくても2700万円かかる。夫婦なら2倍だ。病気にもなるだろうし、貯金など足りないと思う。

でも、検事の多くは定年前に辞め、いわゆる「ヤメ検」として弁護士になるらしいと聞き、「その手があったか」と思った。そうか、検事は辞めても弁護士になれるから再就職には困らないのか。「(松島)検事も弁護士になるのですか」と聞いたら、

「いやいや、私はそんな脳力はないですから」

と言われ、「ガーン」であった。そんな脳力はないのか。犬の次にこれでは、何ともはや悲しかった。だが、こちらについても、その後強く賛同することとなった。


「電話二度目」

それから更に1カ月以上が経ち、6月に入り、もういい加減待っていられないので、再び松島太に電話をした。そして、会って更に説明をしようとした。すると、丁度鑑定医に会う日が決まったと聞かされた。警察だけが鑑定医に会うのかと聞いたところ、検事も同伴すると言っていた。全く無駄だったが、この時はそれを聞いて少し安心した。そして、鑑定医が誰かは言えないだろうが、ちゃんとした医師なのかどうかを聞いたところ、

「循環器科の内科の経験のある医師のはずですよ」

と言われ、循環器科は心臓系な上、手術をするのは内科ではなく外科なため、全く検討違いの返事だったので、

「検事、それ、事件が違う。うち、消化器科で、それも外科じゃないと」

と正したところ、

「それは田島さんがちゃんとやって、田島さんが探してきて、田島さんが見つけてくれると思いますから」

等々、自分が間違えたのに田島優樹の名前ばかりを出して間違いを誤魔化してきたので呆気にとられた。子供警部補を庇う必要はないが、田島優樹はあの時そこにはおらず、何の話題にも出てきておらず、全く関係がなかった。「そうそう、消化器科です。ごめんごめん」ぐらいで済む間違いなのに、謝るどころか何の関係もない田島優樹へ責任を転嫁していた。


公務員は、一般市民の税金で報酬を得ているが、何故か一般市民には絶対に謝らない。あまりに責められ仕方がなく謝罪をするに至った場合は、謝罪をすべき本人は隠れ、謝罪係のような可哀想な人が出てきて謝るが、それでも、謝るとすればマスコミで騒がれたレベルの場合のうちの一部だけだ。私は、謝れない人間は人間失格だと思っている。よくもそのレベルの人間が揃いも揃って公務員になっているなと感心する。


結局、会って更に脾臓の説明をしようと思っていたが、鑑定医に会ってからその結果も踏まえて話をしようということになり、鑑定医と面会した後の日取りで面会の約束をした。だが、最初に会ってから2か月も経つのにこんな初歩的なことも理解しておらず、たったこれだけの言い間違いすら謝れないジャイアン振りだったため、どうしても気になって仕方がなかった。


「電話三度目」

できるなら、鑑定医に会う時に私が行ったほうがいいと思った。私があれだけ書いて説明したのに、2カ月経ってもまだ循環器と消化器の区別がついていないどころか外科と内科も分からないレベルだ。ドイツ語が分からない者がドイツ人にドイツ語で話されても分からないように、知識もなく勉強するつもりもない人間が話を聞いて分かるわけがない。

ものすごく嫌な予感がしていた中、すごく嫌な夢を見た。これはまずいと思い、松島太に電話をした。鑑定医にまだ会っていないなら私も一緒に行ってもいいかと言った。ところが、残念ながら、鑑定医にはもう会ってきたと言われた。そして、そのたった1行か2行の回答の声のトーンで、結果が分かった。「分かりもしないのに動脈切ったなんて言いやがって」とバカにしていることが良く分かる音調だった。


その上、まだ鑑定医に会っていなかったとしても一緒に連れては行けませんでしたと言われた。法的センスがないので又売り言葉に買い言葉で言っているのだろうと思ったが、一応何故だと聞いてみたら、通常は連れて行きませんからねと偉そうに言われた。

「みんなやっているから・やっていないから」は、筋の通らないただの言い訳である。通常被害者が同伴するようなことはないだろうが、考えてみたら、被害者を連れて行ってはいけないという法律を私は知らない。何か検察庁の規則で決まっているのなら逆に教えて頂きたい。被害者を連れて行くことに何か問題があるのだろうか。稀なケースではあろうが、いくら検事が一緒に行くとはいえ、10時間以上監禁状態にされた被害者でもあるので警察を疑うのは当然であり、まずその時点で犯罪捜査規範に則り被害者の心情を考慮して同伴させることを検討してもいいと思う。そして、私は、該当事件につき、一番高い知識を持つ者である。手術までの経緯からその前後の状況、術式やその後の経過等を全て把握しているただ一人の者だ。その上、明らかに捜査機関より上の医療知識を持っており、鑑定医との会話が保てないレベルではないので、捜査の邪魔になることもない。

法律家なら法律を根拠に説明をするべきだが、松島太は法律や規則を根拠にしない。なぜダメなのだと聞かれたら知らないから答えられず、「普通はやりませんから」と喰ってかかるだけだ。



ジャイアン的で話しにならなかったので、代わりに、どなたか、知っていたら教えて下さい。被害者の同伴を可能にした明文規定はないのでしょうが、規制する法規則はありますでしょうか。私と同じ状況で、警察から犯罪行為で嫌がらせをされてそれを揉み消されている状況で、業過を起訴にしたら警察に都合が悪いという状況で、明らかに医療の知識がない捜査機関が鑑定医と会う場合、被害者は同伴してはまずいでしょうか。私は、事件該当手術の詳細な説明ができる重要な知識のある者です。別に証人に会うわけでもなく、鑑定医が被害者と会うことには何の不都合もないはずですが、何故ダメなのでしょうか。自力救済が禁止でも、捜査は禁止されていません。一般人の捜査が違法なら、深川署は私に捜査をさせたのだから、違法行為をさせたことになります。個人の捜査が可能なら、別に鑑定医と会ってもいいのではないでしょうか。私はこれ、検事の裁量に属する行為だと思っています。それが捜査の早期解決のためになるのであれば、検察官として、警察に指示が出せるのではないでしょうか。どなたか知識のある検察庁勤務の方や学者の方々がいたら、教えて下さい。



どうしようもない医師に会ったか、自分がどうしようもなくて意味が分からなかったかのどちらかであり、「やられた」と思った。とりあえず、既に鑑定医と会っていたので、予定通り決めていた日に会ってその結果を聞くこととなり、それが松島太と会った最後の日となった。

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