井上晴洋理事長として任期満了せず就任期間過去最短の歴史を残す(日本消化器内視鏡学会)

折角理事長を辞めましたが、2022年7月、井上晴洋を顧問にしたようです。このサイトに記事が載っている事を知ってから顧問にしていますから、下記記事は残しますが、上辺だけであったとしても、顧問という肩書がある以上は、学会として脾臓切り取り医者を容認しているという事なのかもしれませんので、患者様方は、その点、ご記憶のほど。まさか又学会に戻る事を許すとは思ってもみたなかったけど、定款任期を満了させてもらえなかったのに顧問として留まるなど、私だったらプライドが許さないので自分から断るけどね。



2019年に日本消化器内視鏡学会の理事長に就任した井上晴洋は、2022年5月、理事長をやめました。

就任期間は、学会過去最短である3年でした。

定款を見る限り、任期満了は2023年の5月であり、2022年の5月ではありませんでした。


新しく理事長になられたのは、副理事長だった田中 信治先生です。おめでとうございます。そして、ご尽力頂いた皆様、ありがとうございました。



経過

2021年2月、日本消化器内視鏡学会の理事他役員へ文書を出し、井上晴洋は理事長を解任されるべきであるという記事を公開しました。

理事ら皆様からの返信はきませんでしたが、きちんと動いて頂けているだろうと思っていました。学会の名誉に関わる事ですので。

そして、本年2月か3月より、上記記事のページビューが妙に増えたため、何かが起きているなとは思っていました。



私が手紙を出したのは2月28日で、ここで記事を公開したのは3月4日でした。消化器内視鏡学会は一般社団法人ですが、その事業年度は、3月1日から2月末までです。丁度新しい年度になってから私の手紙及び記事をお読み頂いた事になったと思います。



もちろん即座に解任して頂く事が一番の望みでしたが、役員の解任は定款で定められており、評議員の決議事項なため、そう簡単にはできません。その上、失敗すれば逆に訴えられる可能性も出てきますので、相当な根回しが必要と思われました。



なので、学会としては、円満に辞めさせるなら、任期の満了を待ち再任しない事が最善策ではないかと思っていました。再任の義務はありませんので、任期満了後は他の理事を選任すればいいだけですから。

そうなると、頼りは定款でした。



定款上の理事長任期は、理事長選任後2年以内に終了する事業年度のうち最終のものに関する春の定時評議員会の終結の時までの2年でしたので、法規定通りの最大期間任期となっていました。ということは、2019年5月に理事長に選任された井上晴洋の任期は2021年5月までであるため、私が手紙を出したのは2021年2月ですので、何とか間に合えば任期満了で再任なしの可能性もあるかもしれないと思いました。

ですが、2021年の春を過ぎても、井上晴洋はまだ理事長でしたので、再任されたのだろうと思いました。となれば、任期は2023年5月までですので、又2年間井上晴洋が理事長である姿を見ていなければならないと思いました。

とはいえ、当時の定款では理事長任期は最大6年だったため、2023年に再任されれば更に2年間2025年まで理事長でいられるという事でしたので、実際、井上晴洋の前の理事長である田尻久雄先生が6年間就任なさっていたため、合計6年間も臓器を勝手に切って捨てていると自分で言っていた井上晴洋が理事長として君臨する可能性が高かったと思います。



ところが、2022年5月、田中先生が新理事長となられたわけです。





井上晴洋解任か辞任か

私は日本消化器内視鏡学会の会員ではないため、一般公開されている公の情報からしか紐解けませんが、定款を見る限り、任期がまだあった以上は、解任するか辞任させるかのどちらかでしか辞めさせられないはずです。それはつまり、井上晴洋が自分の意思で辞めるのでなければ、評議員会で解任させられるよう相当な根回しを図るか、素直に本人を説得して辞任させるかのどちらかということですが、どちらにせよ、かなりの労力だったと思います。



どうやったのかなと思いながら定款を再確認しましたら、本年度に変更がありました。2022年5月13日であり、評議員会の日であった事が分かりましたので、通常の定時会にて定款変更が議決されたようでした。

定款変更は厳格な手続きを要するため、理事会の決議ではできず、評議員会の決議を要します。学会の評議員会は、事業年度終了後3か月以内に行われ、通常は5月です。つまり、定款を変更したいのであれば、臨時評議員会を開催するのでなければ、毎年5月に開かれている評議員会までにその原案を作成して事前に通知し、5月の評議員会で議決されなければなりませんので、その数か月前から動く必要があります。

今回の変更では、変更されていたのは、第5章の「役員」の部分だけでした。変更箇所のうちの一つは第33条の理事の任期であり、通算4年以内の任期を但し書きで評議員の承認を得れば2年延長し最大6年間就任可能にしていましたが、その但し書きを削除し、任期を通算4年以内としたことです。

4年「以内」であれば4年も含まれるため、井上晴洋にはまだ在職権利がありました。2019年に理事長に就任しているので、2020年で1年、2021年で2年、2022年で3年であり、定款に従えば、もう1年間は理事長でいられるはずでした。ですので、この変更を根拠に井上晴洋を辞めさせる事はできないはずです。



ではなぜ定款変更をしたのだろうと思いましたが、「保険」だったのかなとも思いました。

解任の決議又は辞任をさせることができずに井上晴洋を辞めさせられなくても、定款さえ変更すれば、任期は後1年でしかありえないため、もう1年の我慢で済みますので。

とはいえ、定款変更も大変であり、評議員の議決が必要ですが、通常は、もっともらしい他の条項と一緒に通すと通りやすくなるはずです。それが理由かは分かりませんが、他にもいくつか変更はあり、全体として受ける印象は、「権力の集中を避け年齢層を下げる」というものですので、こういった内容だと、評議員会で議決されやすかっただろうと思いました。


日本内視鏡消化器学会は、1959年に「日本胃カメラ学会」として発足しましたが、2012年に「日本内視鏡消化器学会」として一般社団法人化しています。現在の定款が公証人の承認を受けたのは、2012年です。既に法務局での保存期間を過ぎているため、公証役場でしか原始定款を確認できず、そもそも株式と有限以外では謄本がとれないのではないかと思いますが、どちらにせよ、私には閲覧権がないと思われるため原始定款の確認はできません。

ですが、歴代就任期間を見ると、法人化前は独占状態だったことが見てとれますが、丁度法人化の境に理事長であられた上西先生が就任最短で、4年間でした。井上晴洋は、歴史上過去最短の3年で辞めていますし、任期を満了できていないはずです。

歴代理事長就任期間
1959年から1981年 田坂定孝先生 22年間就任
1981年から1997年 﨑田隆夫先生 16年間就任
1997年から2009年 丹羽寛文先生 12年間就任
2009年から2013年 上西紀夫先生 4年間就任(2012年に法人化した翌年に退任)
2013年から2019年 田尻久雄先生 6年間就任
2019年から2022年 井上晴洋 3年間就任 (2021年2月に私の記事が公開されました)

「上西先生と1年しか変わらないではないか」と思うかもしれませんが、上西先生の任期は偶数なため任期を満了したと思われる上、ここ、疑問に思いました。まず、定款が公証人から承認されたのは法人化の時ですが、定款はその前から存在していてもおかしくありません。むしろ、存在していたと思うのが当然かと思います。公式な団体ですので。となると、もともとは、「通算4年」だったのではないかと思いました。

法人化以後の定款変更履歴日は、下記の通りです。

2014年5月15日
2016年11月4日
2022年5月13日(今回:役員のみ)

上記を見る限り、2014年と2022年は春の定時会にて定款変更がなされたことはわかりますが、2016年は、春ではないため、臨時会と思われます。これはつまり、2017年の春の定時会で変更したのでは間に合わない何かがあったので早目にやったということだと思います。当時の理事長は、田尻先生でした。

2017年の春、田尻先生は就任4年目であり、最大2年延長の例外がなければ、そこで退任の必要があったはずです。なので、田尻先生を残すために最大2年延長の但し書きを追加するために事前に評議員会をわざわざ開いて定款を変更したのであり、以前は通算4年が最大だったのかなと思いました。理事会規則は分かりませんが、事前に理事会にて理事長を互選して評議員会で承認決議が通常かと思いますので、理事長を決める理事会は評議員会より前に行う必要がありますが、定款上理事長にできない理事を選任することは無理だと思いますので、先に評議員会にて定款を変更して任期延長の文言を追加しておかないと田尻先生を再任推薦する理事会決議はとれないと思います。そうなると、上西先生の4年任期は、定款通りだったと考えられますので、井上晴洋とは1年しか違いませんか、任期は全うできた上、定款上当然の期間在任した事になります。

田尻先生は、2019年におやめになられた後も、さらに特別顧問という形でお残りになられていました。当時から理事の任期が8年であれば、理事長を6年間おやりになったのなら高い確率で理事就任最大期間の8年を超えており、定款上「理事」という肩書ではお残り頂けないため、顧問等の他の地位が必要だったはずです。他にも、理事の年齢制限を超えたと思われる事もあり、そのために特別顧問の立場を付与したのかどうかは分かりませんが、定款を変更して更に2年間理事長をお務めになり、その後3年間も顧問として就任なさっていたのであれば、田尻先生は、よほど消化器内視鏡学会で信頼のある素晴らしい先生か、凄まじい独裁者か2つに1つだと思います(後者じゃなかったらごめんなさいね田尻先生)。



と、2016年だけ異例の臨時会を開いている事が不思議に思われましたので、上西先生の任期期間の件もあり、私なりに考えてみた次第です。



とりあえず、井上晴洋は任期を満了していないはずです。定款上、当然にそう解釈できますので。

https://www.jges.net/medical/about/rule/article-association




皆様、ありがとうございました

日本消化器内視鏡学会の理事及び監事その他役員の皆様、本当にありがとうございました。また、もしも学会へお願いして下さった方が他にいらっしゃるようでしたら、その方々にも御礼申し上げます。



私は、人殺しと違い、金をもらって被害者を監禁して犯罪をもみ消す異常者と違い、何も違法な事は行わず、ただただ、文章を書くだけです。このようにネットにて公開するものもあれば、非公開にて手紙を郵送することもあります。前者では名誉棄損等非常に慎重にならなければいけないところ、後者では、私が気にするのはせいぜいプライバシーの侵害ぐらいです。

記事として公開すれば表に出て誰でも読めますが、手紙やFAXなどでは、送られた人しか分かりません。ですので、公開できるものは公開しますが、そうでなければ、皆様は、私が何をやっているのか、何を書いているのか、誰に送っているのかが分かりません。

私にとっても同じ事であり、送られた方々が、何を思い、誰に相談し、どうすることに決定したのか等、教えて頂かない限りは、一切分かりません。ただただ、こう動くであろう予測と希望のもと、相当な計算をしながら、文章を書くだけです。



ですが、今回の異例の時期での新理事長就任は、予想外でした。最低でももう1年はダメだろうと思っていましたので。



井上晴洋含め他全員及び昭和大学からは、相変わらず何の謝罪もありません。反省して自ら理事長を辞任するような事もしないだろうと思っています。



そうなりますと、理事他皆様が、相当な努力をなさったのだろうと思います。ご自分のお仕事もある中、さぞ大変だったのではないでしょうか。相当に頭のいい方がいらっしゃるのだと思いますが、今後は、その策士とも呼べる頭脳の持ち主の方と共に、素晴らしい学会にして頂きたいと思っております。




本日は、父の日です。死んでもなおはらわたを取り出し切り刻まれて腹部が空っぽのまま燃やされました父上へ、父の日のプレゼントとして、この記事を、呪いと憎しみを込め、公開致します。



新理事長を立てるという皆様のお役目は終わったかと思いますが、私の戦いはまだまだ続きます。



井上晴洋は、世界へ出ているようですね。たっぷりと見させて頂いております。海外にも被害者がいるかもしれませんので、脾臓切り取りの記事が日本語でしかありませんから、英語版を作成させて頂き、世界中に記事を送信できる準備をするつもりです。

今後とも、医師として、応援して頂ければと思います。




ありがとうございました。

貴学会の益々のご発展、お祈り申し上げております。

人を殺すのではなく、人を救える医師の集まりとして、いつまでも頑張られて下さい。




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