7日目③と8日目「ジャンベサークル参加から帰国へ」

なぜそのレストランを選んだか覚えていませんが、薄暗いところでした。二階へ上がると、ソファにクッションが置いてある大きな席を独り占め。まだ時間が早かったから、誰もいなかった。居心地が良かった。写真がないのがもったいない。






何を頼んだか忘れたけれど、時間がないから急いでねと言って注文しました。

料理を待っていると、日本人グループの一人から、今回は携帯に電話がありました。ホテルに帰ってお部屋から私の携帯に国際電話をかけたみたい。この時間になってもまだ食べていないとのことだったので、私のレストランへ呼びました。






そして、みんなで一緒に食事をして、ドラムサークルへ。確か、どこかでジャンべショップのオーナーと待ち合わせをしていたはずです。






合流すると、オーナーが少し歩いた先のサークル場へ連れて行ってくれました。どこかの地下だった。






サークルは、本当にサークルだった。みんな楽しそうにジャンベを叩いていた。

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これがショップのオーナー。ジャンベのプロでした。売っているぐらいだから当たり前か。

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どのくらいいたのかな。2時間ぐらいかな。途中、オーナーはそこで夕食をとっていた。オクラを食べていました。ご飯みたいなやつは、ウガリだったと思う。食べるかと言うから、オクラは嫌だよと言った。今なら少しは食べられるけど。






夜遅くにサークルが終了すると、帰りはオーナーがホテルまでちゃんと送ってくれました。やはり刑事とは違う。






「ライブハウスのようにたくさん踊って」とかそういうものではなかったけれど、「いろんな楽器が混ざった演奏を聞いてお酒を飲んで」とかそういったものでもなかったけれど、ここでの経験は、どこのガイドブックにも書いていない、どこのインフォメーションでも紹介してはくれないものだった。

現地で出会った人が、実際に通っているサークルに「旅の途中の友達」として連れて行ってくれた、かけがえのない思い出です。






サークルは、本当にサークルで、みんなが一緒になってポンポンとジャンベを演奏していました。だから、コンサート的なスケールのものとは程遠いけれど、もっとずっと温かいものだった。大事な旅先での経験。






夜道を送ってくれたオーナーとホテル前でお別れして部屋へ帰ると、数時間後にはち切れることになる砂糖などをしっかりと洋服で包むバカな真似をしたりして、 小さなスーツケースの帰り支度をしました 。






では、寝坊しないようにちゃんと早く寝よう。フライトを逃したら大変。






ところが、夜中から酔っ払いが騒ぎ、二度もフロントに電話することになった。何を言っているか分からなかったから英語圏以外の国からの観光客だったはず。

自分の部屋で話せばいいものを、廊下でずっと話していた。この廊下大好き観光客、一度目の注意は無視で、二度目はホテルの男性が上がって来て強制的に止めて部屋へ押し込んでくれました。多分、酔っぱらっていた。






さて、そんなこんなで何だか寝た気がしなかったけど、朝は無事に起きられた。






タクシーを呼んでもらってあったので、時間がきたら外に出ました。そしたら、何と、オーナーがいた。見送りに来てくれたらしいのです。ホテルの中にも入らず、あの寒い朝私を外で待っていてくれたらしい。

切ないお別れをして、せわしく空港へ向かいました。






帰りはシェアじゃなかったはず。しかも多分、助手席に座っている。






酔うから助手席に乗せてと言ったのかな。

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そんなに混んではいなかった。

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無事に到着。

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覚書を見ると、

「チェックインで手間取り、土産買うヒマもなし」

と怒っている。






全然空港の記憶がないので、良かったらHPでご覧になって下さい。






バイバイ南アフリカ。

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フライトは、ヨハネスブルグ乗り換えでした。待ち時間が結構長くて、ブレスレットではなくて、置物の石に無性に惹かれたので買ってみた。数千円でした。

ヨハネスブルグの空港のほうが大きいはずです。HPでショップなどを比べてみて。






マレーシアでも乗り換えをして、帰りはあっという間に日本に到着した気分だった。多分、ずっと寝ていた。






そして、成田に到着すると、初めて税関で止められました。アフリカに行っていたと言っただけで止められた。






女性一人でアフリカ?






という偏見だと思う。この後、2014年12月、ケニア帰りにも止められました。アフリカだと怪しまれるのだと思う。スーツケースを開けられて、何で一人旅か聞かれたり、いつも一人か聞かれたり。






成田から外へ出ると、夏でした。冬だったから、日本が夏なことをすっかり忘れていた。忘れたままでいたかった。






当時はまだ成田まで車で行っていたので、空港近所の安い駐車場に車を停めてありました。随分長いフライトの後だったけど、若かったしそのまま自運転で首都高へ。






そして、なんていい旅行だったんだろうと高速で半泣きしたのを良く覚えている。

「良くわからないけど、本当にいい旅だった」

と書いている。






帰宅すると、クーラーが壊れていました。パネルヒーターもダメなら、クーラーもダメ。冬もダメなら夏もダメ。






それでこそ私の人生。


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-南アフリカレンタカー運転一人旅

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