いつも最終日にお土産を買うので、チューダーホテルの前のマーケットに買い物に行きました。ここは寄ってみるべきだと思います。
屋台みたいになっているから、買い物がしやすい。値切るのもOKだと思うし。
当時はまだアジア人が少なかったからか、私を見るなり、「チャイニーズか?」と聞かれ、「チャイニーズじゃないよ」と答えると、「アメリカンか?」と聞かれた。何だその二択は。
まだ日本人を見慣れていなかったようでジャパニーズだと思ってもらえなかったが、アメリカンアクセントではないと思うぞ。
とはいえ、世界でジャパニーズだと思ってもらえることは少なく、基本、「どこなの?」と逆に聞かれてしまう。見た目はアジア人だが、明らかにアクセントがアジアではないし、態度も堂々としているし、でもアメリカンではないということで、混乱するらしい。
結局ジロジロ見られて落ち着かず、何も買わずに出ました。
ロングストリートを左に曲がり、どこかのレストランを選んだけど、バーだったかもしれない。二階にあって、階段を上りました。
そして、忘れもしない、上ってお店に入った瞬間、とても薄暗いところだったけど、出てきたウェイター君に、「Oh God, you are beautiful」と驚いたようにリアクションをとられ、あまりに嘘っぽくなくて、素直に嬉しかった。
すぐに席に案内してくれ、ソファにクッションが置いてあった広い場所を独り占め。まだ時間が早かったからか、誰もいなかった。居心地が良かったな。写真がないのがもったいない。
何を頼んだか忘れたけれど、時間がないから急いでねと言って注文しました。
料理を待っていると、日本人グループの一人から、今回は携帯に電話があった。自分たちのホテルに帰って、部屋から私の携帯に国際電話をかけたみたい。この時間になってもまだ食べていないとのことだったので、私がいたレストランへ呼びました。
何分待ったか、3人到着して、みんなで一緒にお食事。
その後、ジャンベサークルへ。
今夜のメイン
多分、チューダーホテルの前だっただろうか、オーナーと待ち合わせをしていました。
無事に合流し、サークルをやっていた場所に連れて行ってもらった。ホテルから少し歩いたところで、どこかの地下だった。
サークルは、本当にサークルだった。みんな楽しそうにジャンベを叩いていた。
みんなでテンポを合わせてみたいな感じだったと思う。誰か講師がいて教えているという感じではなかった気がする。
これがショップのオーナー。ジャンベのプロでだった。売っているぐらいだから当たり前か。
どのくらいいたのかな。2時間ぐらいかな。
途中、オーナーが夕食を食べ始めました。オクラを食べていた。ご飯みたいなやつもあったけど、あれはウガリだったと思う。食べるかと言うから、オクラは嫌だよと言ったら笑っていた。
結構夜遅くまで続いていた気がする。
サークルは、みんなが一緒になってポンポンとジャンベを演奏していたので、コンサート的なスケールのものとは程遠かった。前日の夜のライブハウスのようにたくさん踊ってとかそういうものでもなく、色々な楽器が混ざった演奏を聞いてお酒を飲んでとか、そういうものでもなかった。でも、ここでの時間は、どこのガイドブックにも書いていない、どこのインフォメーションでも紹介してはくれないものでした。
現地で出会った人が、実際に通っているサークルに「旅の途中の友達」として連れて行ってくれた、かけがえのない思い出です。
帰りの夜道は、オーナーがホテルまで送ってくれた。
そして部屋へ帰り、数時間後にはち切れることになる砂糖などをしっかりと洋服で包むようなバカな真似をしたりしながら、帰り支度をしました 。
では、寝坊しないように早く寝よう。フライトを逃したら大変だし。
ところが、夜中から酔っ払いが騒ぎ、二度もフロントに電話することになった。何を言っているか分からなかったから英語圏以外の国からの観光客だったと思う。
自分の部屋で話せばいいものを、廊下でずっと話していた。この廊下好きの観光客、一度目の注意は無視で、二度目はホテルの男性が上がって来て強制的に止めて部屋へ押し込んでくれました。
帰国日
酔っぱらいのお陰で寝た気がしなかったけど、朝は無事に起きられて安心した。
チェックアウトをして、空港までは、タクシーを呼んでもらってありました。
時間がきたから外に出たら、何と、オーナーがいた。見送りに来てくれたらしい。ホテルの中にも入らず、あの寒い朝私を外で待っていてくれたようだった。ありがとうと言ってハグをして、お別れの挨拶。
そして私は、タクシーで空港へ。
帰りはシェアじゃなかった。そしてどうやら、助手席に乗せてもらったらしい。
運転席に慣れているから、基本は前がいいもんで。
そんなに混んではいなかったけど、今はだいぶ渋滞するんじゃないかな。
1時間ほどで無事に到着。
覚書を見ると、
「チェックインで手間取り、土産買うヒマもなし」
と怒っている。
全然空港の記憶がないけど、こんな空港です。
何も買わずに離陸し、窓から「バイバイ、南アフリカ」。
帰りのフライトは、寄っただけではなく、本当にヨハネスブルグ乗り換えでした。
ヨハネスブルグの空港のほうが大きいはずなので、買い物ならこちらのほうがいいと思います。
待ち時間が結構長かったので、ちょっとお店を見たりしていたら、意外にも気に入った石を見つけてしまった。ブレスレットではなくて、置物の石に無性に惹かれ、数千円で買ってみた。
それからマレーシアでも乗り換えをしたけれど、ずっと寝ていたので帰りはあっという間に日本に到着した気分だった。寝ているのが一番いいと思う。
成田に到着したら、初めて税関で止められた。アフリカに行っていたと言っただけで止められました。
女性一人でアフリカ?
という偏見かね。この何年も後、ケニア帰りにも止められました。アフリカだと怪しまれるのだと思う。
この時は、スーツケースを開けられて、何で一人旅か聞かれたり、いつも一人か聞かれたりと、怪しい人扱いされた。ケニアの時はそれほどでもなかったんだけど、もしかしたら、スーツケースが大きかったからかもしれない。荷物が多いほうが怪しまれない気がする。
さて、成田から外へ出ると、夏でした。南アフリカが冬だったから、日本が夏なことをすっかり忘れていた。忘れたままでいたかった。
空港近所の安い駐車場に車を停めてあったので、随分長いフライトの後だったけど、そのまま自運転で高速へ。
運転中、なんていい旅行だったんだろうと思ったら涙が出たのを良く覚えている。高速で危ないなとか思いながらティッシュを取った。
なんか、突然感動が沸いてきたんだよね。やっぱり、すごかったんだと思う。短期戦だったし。家に帰って、父上に色々と話をした。テンションが高かったので。
そんな元気な私とは裏腹に、帰宅すると、クーラーが壊れていた。パネルヒーターもダメならクーラーもダメで、冬もダメなら夏もダメ。
それでこそ私の人生。