ヨルダンの結婚式があまりにも楽しくて、「海外に住んでいる未婚の友達を持つって幸せ」と思い、再び誰かが結婚式に呼んでくれたら世界の結婚事情も見ながら旅もできて・・・
なんて思っていたけれど、あれからしばらく呼ばれることもなく、もう呼ばれないのかなと思っていたら、フィンランドへ呼ばれました。そして、新しく旅行記が加わっています。
さて、結婚式はさておき、私はヨルダンドライブにかなり鍛えられました。何かもう、強烈に印象に残っている。
昼のあの砂漠と夜の暗闇が、同じレベルで目に焼き付いている(片方は真っ暗だが)。
海外で運転していると、もしかしたらこの先車内泊を余儀なくされるようなことがあるかもしれません。そんなときはきっとこうなんだろうな・・・と想像させられたドライブでした。
ケニアドライブは、ヨルダンドライブがなかったら結構違ったかもしれない。どっちもすごかったけど、ケニアドライブを楽しむ余裕があったのは、ヨルダンドライブがあったからではないかと思います。「経験が経験を生む」という、有難いものだった気がする。
さて、そんないい思い出ばかりのヨルダン旅行記を「書きます」とサイトで発表してから、書くべきかどうか迷っていた。
先に「書きます宣言」をしてしまっていたし、カテゴリも作ってあったので、もう今更取り消すのもどうかと思ったけれど、丁度この時、あの事件があったので考えてしまったのです。
あの事件とは、「ヨルダン人パイロット生きたまま焼殺」でした。その前に日本人二人も殺害されたけれど、ここではそちらには触れません。
ただでさえ日本人二人の件で腸煮えくり返る中、パイロットの焼殺がユーチューブで流されて、このパイロットが亡くなったことが確定しました。
私はすぐに、友達に大丈夫かとメッセージを送りました。そのうちの二人からのメッセージの翻訳を以下に残します。
一人目は、ジェラッシュで会った姉妹の一番上のお姉ちゃん。
”…彼の死はヨルダンでも大きなショックでした。
彼らがやったことはとても人間の仕業とは思えない。生きている人間に火をつけるなんて、暴力的な野蛮行為です。
彼が檻の中から自分に向かって火を点けられたのを見た時どんな気持ちだったか、想像を絶するものだと思います。
私は昨日、彼が死ぬ前に感じた恐れや孤独、そして彼の家族の胸の痛みがどれほどのものだったか、一日中考えていたの。
彼は自分の体が燃えている時でも、ずっと頭を上げたままだった。震えてもいなければ、助けを乞うようなこともしていなかった。
彼は、私たちのヒーローです。今日はヨルダンの全てのモスクで祈りが捧げられました。
殺した奴らは、ムスリムなんかじゃない。イスラム教の名をかたり、イスラムの神の名を利用しているだけ。
だけど、アラブから外の世界の人たちは、あいつらをムスリムだと、私たちをあんな奴らと一緒だと勘違いしてしまうんじゃないかって心配です。
メッセージ本当にありがとうね。
すごく嬉しかった。
私たち家族はみんな、ジェラッシュに行く度にあなたを思い出します。
愛をこめて”
そして、こちらは、結婚式に呼んでくれた友達。
”心温まるメッセージをありがとう。
あのニュースにとてもショックを受けています。 一晩丸々眠れなかった。
だって、ひどすぎるでしょ。
数日前、後藤さんが殺害されたのを悲しんで、多くのヨルダン人が日本大使館の前にキャンドルを持って集まって祈ったのよ。私も一緒に祈りたかったんだけど、ドバイにいたので行けなかったの。
日本の被害者の方々にもお悔やみ申し上げます。
殺した奴らのやり方を正当化するものなんて何もない。
私には宗教心なんてないけれど、イスラム教の教えが奴らのやっていることとは全く違うことぐらい分かってる。
奴らのやっていることは、ムスリムに対する憎しみと人種差別を広げるためのプロパガンダにしか過ぎない。
あんなこと、イスラム教では許されていません。
...気にかけてくれて、本当にありがとう。
あなたのメッセージで少し気が楽になりました。
愛をこめて”
彼女たちの返信を読み、「やっぱりヨルダン記を書こう」と思いました。
同情的になっているため、あまりよくないことを書くのはやめようかなと思ったけれど(例えばヨルダン人男性につき誤解を招くかもしれない内容を書いたところとか)、私は情報配信者なので、そこはそこ、事実は全て正直に書きました。その時の感情も正直に書いてあります。
旅行情報として記事を書く以上、私にもそれなりの使命があります。記憶にあるだけでも、あったことをそのまま伝えなければ、これから行く人の参考にも何もなりません。私は小説を書いているのではないのですから。
そして、最後の最後の、私としては一番大事なこのページに、彼女たちのメッセージを載せて、中東の人々が、イスラム教の全ての人々が、ムスリムが、アラブの人たちが、卑劣な自称イスラム国のお陰で誤解されてしまうかもしれないということを記そうと思いました。
ヨルダン記を書こうと思った後に偶然にも起きてしまった残酷な犯罪により私の大事な友達が悲しんだこと、勇敢な人の大切な命が又一つ消されてしまったこと、私にできるのは、彼女たちのメッセージを翻訳し、ムスリムはあんなに残虐な人たちではないのだと伝えることだけだった。
ヨルダンは比較的安全ですが、それでも不安なら、今もなお終わらない残虐犯罪がいつか終わりを遂げることがあったなら、その時はヨルダンへ行ってみてください。
きっといい旅ができ、人懐っこい、世話好きの人々とのたくさんの出会いが待っていると思います。
完